火炎と水流
―交流編―


#4 妖怪だって、やさしいんだい!


林の奥からは、子供達の楽し気な笑い声が聞こえていた。
「鬼さんこちら。手の鳴る方へ……」
桃香がうれしそうに歌う。
「鬼さんこちら……」
花芽も歌う。
「よーし。つかまえちゃうぞ。こっちだな」
薄い木綿の手ぬぐいで目隠しをした淳が慎重に歩みながら手を伸ばす。
「そうそう。こっちよ」
桃香が叫ぶ。
「こっちこっち」
と花芽も手を打つ。風がふわりと長い黒髪をなびかせる。淳はとんと勢いをつけて踏み出すと花芽に抱きつき、胸に顔を埋めた。

「あはは。つかまえた!」
淳はうれしそうに笑うと言った。
「ああ、本当にいいにおい……。花芽さんって花の妖精みたいだ……」
淳はうっとりとした表情で見上げる。その目隠しをそっと外してやりながら花芽が言った。
「ふふふ。そうかもしれないよ」
着物を模した洋服を着ている彼女は何処となく古風な雰囲気をかもし出していた。そんな彼女のことを子ども達は美しいと思った。漆黒の髪は長く腰の下まで艶やかに流れ、切れ長の瞳は夜の帳に輝く黒曜石のように神秘的だ。そして、その口元からは心地よい言葉と声が漏れ聞こえてくるのだ。子供達は、すっかり花芽の虜になっていた。彼女の細く白い手が少年の背中をそっと撫でた。

「ああ、本当に気持ちがいい……。こうしてるとまるでお母さんのそばにいるみたいだ……」
そんな淳の言葉に桃香も彼女の腰にそっと手を伸ばしてきた。
「お母さんって……? 桃香にはお母さんがいないの。ねえ、もし、桃香のお母さんがいたら……こんな感じするの?」
見上げてくる少女の頭をそっと撫でて彼女が微笑んだ。
「ああ、きっとね」
そして、彼女は二人の前にしゃがむと両手に抱いた。慈愛に満ちたやさしい表情だった。
「あたたかい……」
桃香が言った。
「やさしくて、気持ちがよくて、とってもいいにおいがする……」
母の温もりを知らない桃香がその顔を押し付けてくる。

「花芽が桃香のお母さんになってくれたらいいのに……」
そんな桃香を見て、淳がつぶやく。
「ああ、そうか。桃香にはお母さんがいないんだったね……」
少し淋しそうに笑って淳は桃香のためにその場所を空けた。
「おれにはお母さんがいるから……。真菜はいなくなっちゃったけど、お父さんやお母さんがいる。いつも仕事が忙しくて家にはなかなか帰ってきてくれないけど、会おうと思えば会えるんだ。だから、もういいよ」
そう言うと彼は少しずつあとずさると、くるりと背を向け、唐突に駆け出した。
「あ、待って! 淳! お兄ちゃん!」
桃香が呼んだ。が、彼は一度も振り向かない。あっという間に通りの向こうまで行ってしまった。

「桃香……おまえにはお母さんがいないのかい?」
花芽が訊いた。
「うん」
桃香がうなずくと花芽はそっと彼女の小さな身体を抱き締めた。
「そうかえそうかえ。ならば、これをあげよう」
そう言うと彼女は小さな花の枝をくれた。薄桃色の花が可憐に咲いて、ほのかに周囲が明るくなった。
「わあ! きれい!」
桃香はそれを大事そうに持つとそっと枝を鼻に近づけた。
「いいにおい……」
桃香はうれしそうだった。

穏やかな風がやさしくその頬を撫でていく……。
「不思議な子じゃ……。この子は人なのに人でない者の香りがする……」
花芽はそっと少女の髪を手ぐしですいた。
「わたしが不思議……?」
桃香が見上げる。
「そう……。おまえは昔懐かしい香りがする……」
「それってどういう……」
桃香がそう言い掛けた時、林の向こうから駆けてくる者がいた。

「桃ちゃん!」
その顔を桃香は知っていた。
「水流!」
桃香が叫ぶ。
「火炎もいっしょ?」
その姿を認めると、パッと顔を輝かせて駆けていく。
「火炎……」
花芽の周囲に淡いオーロラのような妖気が漂った。

「花芽……。桃香に手を出してはいないだろうな?」
火炎が言った。が、彼女は軽く首を横に振って言った。
「ほほ。するものか。それにしても可愛いお嬢ちゃんだねえ。これはおまえの娘かい?」
火炎に訊いた。
「いや。人間の娘だ。故あって預かっているんだ」
「ほう」
花芽はすっと目を細めて桃香を見た。

「うっへえ。すっげえ美人だな。おいら、谷川水流ってんだ。よろしくっつーか、はじめまして! えーと」
「花芽じゃ。花芽桜子(はなめろうし)。おまえは水の僕かえ?」
「僕だって? それって逆だろ? このおいらが水を支配してんだぜ!」
頬をでっかく膨らませて水流が抗議する。
「ほほほ。そうかえ? なかなか生きのよい坊やじゃな。年は幾つかえ?」
「人間の年でいうなら14だ。けど、火炎の奴がおいらを無理やり小学校になんか入れたから、今は12ってことになってる」
「そうか。火炎が……」

「おめえ、火炎と知り合いなのか?」
水流が二人を見比べて訊いた。
「昔な」
火炎が言った。
「火炎、これね、花芽にもらったの」
桃香が桜の花の付いた枝をひらひらと振って見せた。
「そう。よかったね、桃ちゃん」
火炎がその頭を撫でる。

「でも、勝手に学校を飛び出したりしてはいけないよ。みんな、とっても心配してたんだからね」
火炎が諭すように言って聞かせた。
「みんな?」
「そうだよ。先生やお友達や、それに水流だって……」
桃香が振り向いてその顔を見る。と、水流がうなずいてみせた。
「火炎は? 火炎も桃香のことが心配だった?」
「ああ。もちろんだよ。他の誰よりも心配してた」
「大好き!」
桃香は火炎に抱きつくとその頬にキスをした。
「ありがと、桃ちゃん」
彼は少し頬を赤らめてうなずいた。

「ちぇっ! 何でえ何でえ、調子のいいこと言ってさ。おいらだってうーんと心配してたんだぞ」
水流が言った。すると桃香が水流の頬にもチュッとキスした。
「ウッヒョー! あんがと、桃ちゃん。えらいえらい。賢い子はちゃんとわかるんだよな」
そんな水流の様子をじっと見ていた花芽が訊いた。
「ほう。水流。おまえは幼い者が好きなのかえ?」
「ははは。別にそういう意味じゃねえけど……。桃ちゃんは特別だよ。おいら、ほんとは花芽みてえな美人が好きなんだ」
水流は慌ててそう言い訳した。
「ほほほ。それはほんとかえ?」
「ああ。天地神明に賭けて誓うよ」
「なら、一緒に来るかえ?」
花芽がすっと目線を下げる。

「水流!」
火炎が鋭く示唆する。
「何だよ? 火炎。妬いてんのか?」
「そうじゃない」
「なら、何だよ? 普段はさんざおいらのこと邪魔者扱いしやがって……。おいらが誰と付き合おうとおいらの勝手だろ? 好きにさせてもらうぜ」
そう言って花芽と行こうとする水流。

「待てと言ってるんだ」
その肩を掴もうとする火炎の手を振り払って水流が言った。
「保護者面すんじゃねえよ。おいら、おめえとは赤の他人だ。親子でも兄弟でもねえんだからな」
立ち去ろうとする水流。火炎はそれ以上止めようとはしなかった。が、代わりに花芽にだけ聞こえる声で言った。

「花芽……。もしも、奴に手を出したら……」
「ほほほ。そういうことかえ。心配要らぬ。桃香と友達になった故、この子を泣かすようなことはせぬ」
「友達?」
水流が訊いた。
「わたし達、ずっと花芽と遊んでいたの。目隠し鬼をしたんだよ。うんと楽しかったの」
桃香が言った。
「わたし達って……他にも誰かいたのか?」
火炎が聞きとがめる。
「うん。お兄ちゃんが……」
「お兄ちゃん? そいつは誰だ? 知ってる奴か?」
火炎が僅かに眉を吊り上げて訊いた。
「うん。水流のお友達だよ。淳っていうの」
桃香が言った。

「淳だって? 村田のことか?」
水流が怒鳴る。その迫力に桃香が驚いて首を竦める。
「バカヤロー! 急に大声を出すんじゃない。桃香が驚いてるじゃないか」
火炎も怒鳴った。
「おめえだって怒鳴ってんじゃねえか。人のことが言えた義理か」
水流が言い返す。
「それはおまえが先に怒鳴ったりするからだ」
「そんなこと言ったってしょうがねえだろ? よりによってあいつと友達だなんて言われたらさ」
不満そうに水流が言う。

「水流は淳の友達じゃないの?」
桃香が訊いた。
「違う! あいつ、汚ねえことしやがったんだ。自分で万引きしておいて、おれが指示してやらされたなんてウソ言いやがったんだ! 絶対許せねえ! 今度会ったらぎったぎたにしてやる」
息巻く水流に桃香が慌てて言った。
「だめだよ、水流。淳をいじめちゃだめ!」
桃香は必死に水流にしがみついて止めようとする。

「何で止めるんだよ、桃ちゃん。あいつ、ほんとは悪い奴なんだぜ」
「ちがうもん! 淳はちっとも悪くないんだもん。悪いのは大人なんだ。桜の木をみんな切ろうとしている大人が悪いんだよ。だから、お願い。淳をいじめないで」
「いじめるだなんて……。おいら、一体どうしたらいいんだよ。いじめられたのはおいらの方なのに……」
水流は苦悩した。が、そんな彼を放置して火炎が言った。
「悪いのは大人の方か……」
火炎はさっき広場に放棄されていた砂原建設と書かれた建設車両やトラックのことを思い出した。

「砂地……。また、あの砂原建設が関わっているのか?」
「そう。その砂原という会社が曲者じゃ。存じておるのか?」
花芽が言った。
「ああ……。桃香の……いや、多くの人間を不幸に貶めている性質の悪い半妖さ」
火炎の言葉に花芽はうなずく。
「道理でな。人間の血が混じっておるから、あのように汚い事業ができるのだろう」
「それじゃ、わかってくれた? 淳お兄ちゃんは悪くないって……」
桃香が言った。
「ああ。信じているさ。あの子は本当は悪くないってね」
突然、背後の木の上から黒い翼がひらりと降りて、烏場先生が現れた。

「ちょっとね、情報収集してきたんだ。もしかしたら、村田の妹が死んだのもただの事故じゃないかもしれない……」
烏場の言葉に、一同は憤慨したような表情を浮かべた。
「何だって? あの野郎! もし、人間に手を出してたりしたら、このおいらが許しちゃおかねえ」
水流が息巻いた。
「ふん。おまえには関係がない。引っ込んでいろ」
火炎が言った。
「何? 村田のことは大いにおいらと関係があるんだ。譲れねえからな」
「まあまあ、そう早まるなって……。まずは正確な情報を集めることだ。そうでないととんでもない間違いをすることにだってなりかねないからな」
烏場が冷静に言った。

「淳お兄ちゃんを助けてくれる?」
桃香が心配そうに彼らの顔を見上げる。
「ああ。大丈夫。きっと上手く解決してみせるよ」
烏場がやさしく言った。
「だから、君は明日からちゃんと学校に来るんだよ」
「うん」
桃香がうなずく。
「おいらの濡れ衣だって晴らさなきゃ……。みんなから白い目で見られちまってよ。何かさ、空しいっていうか、こう胸の奥が締め付けられるような気がしてさ、何かいたたまれねえんだよな。教室にいても……」
「谷川……」
烏場が慈愛の目をして彼を見つめた。それから、元気づけるように少年の肩に手を乗せ掛けた時だった。

「ふん。おまえがそんな繊細な心なんか持ってるか」
火炎が皮肉を言った。
「何だと? 火炎、てめえ、いつかぶっとばしてやる」
水流が叫ぶ。
「まあまあ」
丁度肩に置いた手でそのまま彼を抑制し、烏場がなだめる。
「何とこの街には妖気を呼び寄せる気脈のほころびがあるようじゃな」
花芽が目を細めて言った。
「実に珍しい余興が見られそうじゃ」
そう言うと花芽はすっと夕闇の中に紛れた。

「おれ達も帰ろう」
火炎が言った。
「そうだな。一旦別れて、もう少し調査しよう」
烏場もそう言って戻って行った。
「桃ちゃん、ちょっとコンビニでお買い物して帰ろうか」
火炎が桃香の手を取った。
「えーっ? おいら、いやだよ。あそこに寄るんなら、おいら先に帰るからな」
水流がごねた。
「ああ。構わんさ。好きにしろ」
火炎は素っ気無い。
「それじゃ、桃ちゃん行こう」
二人は振り向きもせずに歩いていく。

「ちぇっ! 何だい。火炎のバーカ!」
水流はふてくされてそこらにあった石を蹴った。
「ふーんだ。何処にでも行っちまえ!」
腹の虫が収まらない水流は石を蹴り蹴り道を歩いた。コンビニの前を通るのはしゃくなのでわざと裏側の路地に出た。通りにはびっしりと建物が並んでいる。例のコンビニの脇にある家の前を通り掛かった時だった。その家の裏門から目つきの悪い男達が出てきた。

「何度来たって無駄ですよ。うちはこの土地を手放す気なんかありませんので……」
ドアの向こうの人が言った。
「そんなこと言わないで一度考えてみてくださいよ。いい条件だと思いますがね」
「そうそう。お宅には可愛いお子さんもいらっしゃるそうじゃないですか」
男達が続ける。
「そんな脅しが通用すると思わないでください。これから会議がありますのでこれで」
ガチャリとドアが閉まった。
「ちっ。たかが市議会議員のくせしてつけ上がりやがって……」
「今にみてろよ」
男の一人が唾を吐いた。それから彼らは口汚くののしると携帯で何処かへ連絡を入れながら水流の前を通り過ぎて行った。

「げっ! きったねえ! あいつ、ドアに唾なんか掛けて……」
水流はマナーの悪い人間に腹を立てた。
「へえ。こいつは立派な家じゃねえか。花壇もあるし、手入れだって行き届いてら」
水流はフェンスに吊るされた花々を見て和んだ。と、その向こうの部屋の窓に一人の少年の姿が見えた。
「あれ? あいつは確か……。学級委員の……。あいつんちここだったのか」
水流はじろじろ覗いてまた変な誤解でもされたら面倒だと思い、急いで通り過ぎることにした。

「あーあ。それにしてもコンビニが隣だなんて恵まれてるよな」
水流がつぶやく。これまで何度か引越しをしてきた経験上、やはり、立地条件がよい物件というのはコンビニが近くにあるということに尽きる。
「ほんと、買い物って面倒だよな。人間ってのは結構不便なもんだぜ。でも、見てるとつい欲しくなっちまうもんもあるしな。人間の気持ちもわからなくはないよ。うん」
と、うなずきつつもちょっぴりうらやましく思う気持ちもあった。

「けど、同じコンビニだってあんな店長がいるコンビニなんかの隣じゃ最悪。おいら、あの家に生まれなくてよかったぜ」
などと勝手な妄想にふけっていると、いきなり目の前の駐車場から車が急発進してきた。
「おっと、危ねえじゃねーか! 気をつけろい!」
水流が飛び退いて叫ぶ。が、その車は猛スピードで道路に飛び出して行った。白い大きなバンだった。その車体には大きく砂原建設と太文字で書かれている。
「くそっ! また砂原建設か。ろくなんじゃねえや」
水流が悪態をつく。しかも、その車に乗っていたのはさっき人の家の敷地で痰を吐いていた連中だ。
「ほんと。最低の野郎だぜ」


そして、翌日。水流はあまり気が進まなかったが火炎にどやされて渋々学校に行った。
――おまえ、どうしても人間になって学校へ行きたいって言ってたじゃないか。少しくらいいやなことがあろうと、自分が言い出したのだから責任もって行くんだな
「けっ! 火炎の奴、自分が気まずい訳じゃねえからいいように言いいやがって……」
――責任もってちゃんと桃香の面倒をみろよ
(るっせーな。そんなこと言われなくたって……)
「わかってらい!」
急に大声で叫ぶので桃香がその顔を覗いた。
「水流、どうしたの?」
「何でもない。さあ、着いたぜ。おいらが教室まで送るからさ」
昇降口で上履きに履き替えていると桃香が言った。

「いい。水流は来ないで」
「え? でも、おいら火炎から頼まれて……」
「いいから来ないで! 水流がいっしょだといじめられるもん」
「桃ちゃん……」
水流は悲しくなった。
「わかった……。そんじゃ気をつけてな」
下駄箱の前で別れると水流は自分の教室に向かった。

「おはよう!」
教室に入ると、人はたくさんいるのに、誰も水流に話しかけてくる者はなかった。水流は落ち込んだ。
(おいらのせいじゃねえのに……)
鞄から教科書を出して机の中に突っ込む。どういう訳か収まりが悪くてなかなか上手く入らない。
「ちっ! おもしろくもねえ」
はみ出したノートを強引に押し込めていると、不意に背後から声を掛けられた。

「あ、谷川君、今日、ホームルームの時間にお気に入りの本を紹介するから、一人1冊好きな本を持ってくるようにって先生が言ってたけど知ってた?」
それは昨日見たあの家の子ども。学級委員の泉野だった。
「え? 聞いてない。おいら、昨日は途中で早退しちまったし……」
「そうだと思った。よかったら、休み時間に図書室で借りてくるといいよ。もし、場所がわからなければ案内してあげる」
(うげえっ。何ていい奴なんだ。人間にだっているんじゃねえか。こんな親切な奴が……)
水流は感激した。

そして、長休みの時間、二人は図書室に行った。
「サンキュー。助かったよ」
水流が礼を言った。
「いいよ。君もいろいろ大変だと思うけど、元気出してね」
「ああ。おいら平気さ。あんがとな。あ、そういや、おまえんち例のコンビニの隣だったんだな」
「え? どうして知ってるの?」
「昨日、たまたま見かけたからさ。それにしてもいいよな。コンビニが隣だなんてすっげえ便利じゃん」
「まあね。でも、結構大変なんだよ。コンビニの隣ってのもさ。よくトラブっちゃうしね。ほんと、いやになっちゃう」
彼は首を竦めた。
「まあな」
水流は適当にあいづちを撃った。
(確かにあの店長じゃいろいろあるかもな)
と心の中では思っていた。そして、それは本当のことだったのだ。